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約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(4)戦後の皮革産業 昭和30以降

3.発展期(昭和50年代前期)

●業界の活況と生産量の拡大

昭和50年代は、同年1月のシカゴ相場、成牛皮バットで9.5セントという最低値ではじまった。この底値――即ち、なめし革の価格の下落に伴い、再び革への需要が復活し、同時に逐次騰勢に移った。

皮革業界は同48年の第一次オイルショックによる感染症で同50年前半までは不況感が漂っていたが、同年後半より徐々に回復の兆しが見えるとともに、同51年~53年に亘って世界的なブーツの流行と韓国への衣料用革輸出ブーム等もあり、日本の皮革業界は活気に満ち溢れた時期を迎えた。

県下各地のタンナーはフル生産体制に入るとともに更なる増産に向けてパドル、ドラムの大型化、また自動塗装機等の増設と積極的に工場の拡大と増産を行った。

●成牛皮輸入が史上最高

かくて昭和50年から同53年の4年間は輸入成牛皮枚数が激増し、輸入と国産の成牛皮の消費量は毎年1,100万枚以上を記録し、特に同51年(1976)には、わが国皮革産業にとって最高の1,220万枚(推定)にも達するに至った。
これに伴い原皮を扱う各商社とも業績が好調に推移し、特にこの時期には最高の業績を記録した。これは各商社とも北米原皮の優良銘柄を長期契約する事で、それが結果的に上昇相場にタイミング良く機能したこと、ドル相場が同53年初めの237円から徐々に円高に移行し、10月には176円を記録したことなどが有利に作用したことにより商社、タンナーとも好結果が得られた年でもあった。同50年からこの4年間は、皮革業界において戦後皮革史上最も発展した時期であった。

●アメリカの肉牛生産の消長と皮革産業

一方、この時期におけるアメリカの肉牛頭数とと殺頭数の動きも背景として付言しなければならない。昭和40年(1965)前後は立牛数は1億1,000万頭弱であって、大体と畜数は3,500万頭位であった。その後次第に立牛頭数が増加して同50年(1975)の初めに1億3,200万頭の史上最高数となり、その前後の4、5年間はかつてない成牛皮の供給量となった。この増減が、前述の原皮相場の激変の背景であったことは、いうまでもない。
アメリカのこの当時までの立牛の増減、つまりと畜頭数の増減が世界中の皮革産業の好不況に直接的な影響をもってきたことは業界人のよく知るところであり、その増減の周期性が「キャトルサイクル」として注目されたものである。

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