1.新式製法の導入─主として軍需用革の歴史
現在われわれが利用している大部分の皮革製品の生産技術は明治以降に欧米から導入されたもので、明治2年(1869)陸奥宗光が兵事視察に海外に行き、革は軍隊になくてはならないものであることを知り、同4年ドイツから製革、製靴の技師を招聘して和歌山に伝習所を作り、士族の子弟を集めて教育した。この頃が様式製法である植物タンニン鞣の技術が導入された時期になる。
ちょうどその頃、生活全般に西洋様式が流入して、一般人の衣食住に変化を及ぼした結果、靴その他装身具としての革の需要が増加したため、製革業は次第に盛大となってきた。しかし、これらはなお家内工業の域を脱しなかったが、同10年頃大倉組、桜組等が相次いで製革工場を起こし、外国の知識を採り入れてここにはじめて家内工業の域を脱し、機械力による製革工業の発展の曙光あらわれてきた。明治の後半に至ってクロム鞣の製革技術が導入され、山陽皮革(株)をはじめ大手有力企業を中心に製造がはじまった。
その後数次にわたる戦争毎に需要の拡大と共に発展を遂げ隆盛をみるに至り、軍と共に栄えた重要戦略物資の一つとなったが、昭和20年の終戦後はいち早く平和産業として立直りを見せ、皮革の需要は文化の進運に伴い、ますます国民生活にとって不可欠なものとなっている。