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約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(4)戦後の皮革産業 昭和30以降

1.復興期(昭和30年代)

●産業全体の動き

昭和30年代に入ると、日本経済全体の立ち直りが顕著になり、とくに海外の好況に伴う輸出の増大と貿易収支の好転により、その好調が同31年(1956)の設備投資の拡大にも反映し、「数量景気」がもたらされた。そして国民の消費性向も変化を見せはじめ、戦後10年を経て日本の国力は戦前を大きく上回った。これがいわゆる「神武景気」と称されるものとなり、同31年度経済白書では「もはや戦後ではない」「今後の成長は近代化によって支えられる」とまで述べられた。この景気によって国際収支の悪化をもたらせたことから、同32年に金融引締めが行われ、この好況も同32年6月をピークにして壊れはじめ、「なべ底不況」に突入した。

しかし同34年に入ると4月の皇太子様・美智子様のご成婚が行われて明るいムードを迎え、再び景気が回復し、池田内閣の「所得倍増計画」にも刺激され、力強い上昇気流にのって推移した。この好況は同36年12月にまで及び、国民総生産(GNP)は成長率も実質で年度平均12%余りに達した。この規模が神武景気を上回ることから「岩戸景気」と名付けられた。その当時、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」と称された。

同36年(1961)後半に景気は一時的に下降し始めたが、同39年10月に第18回東京オリンピックの開催、これに合わせて東海道新幹線、首都高速道路、名神高速道路開通等次々とビッグプロジェクトがスタートし、都市には高層ホテル、高層ビルの建設が相次ぎ、24か月にわたり「オリンピック景気」で再度好転し、長く続いた軍政、日本の古い風習から平和で自由なる国、民主主義による男女平等の新しい時代を迎えて、世界の仲間入りとして実質的にスタートした年代であった。

いずれにしても、このように好材料が出揃い国民生活や環境が大きく改善され、その影響で消費景気も順調な歩みをみせ、日本の国が大きく成長した時代である。勿論わが皮革業界も、その時代の変遷とともに靴、バッグ類も色彩が豊かになり、ファッション化時代に入り始めた頃であった。

●皮革産業の再興

こうした経済の推移に伴い、革製品に対する需要も著しく増大した。皮革産業の動向を見る上で一つの指標となる成牛皮の輸入数量で示すと、昭和30年(1955)は47,941トン(推定192万枚)、同32年57,154トン(同229万枚)、同35年81,463トン(同326万枚)、同38年(1963)134,111トン(同536万枚)と急増し、9年間で2.8倍になった。

とくに同35年からの増大は、わが国の外貨準備が整いはじめた頃になって、原皮の輸入が申請に応じて自動承認制で認められるようになった(輸入の自由化)のも大きな理由となっている。かくてここから完全に自由競争の時代が始まったといえよう。

また同30年代前半は、革靴の需要が急増するのをみて、運動靴、ゴム靴メーカーが競ってこの分野に参入しはじめた。この頃に沢田地区のあるタンナーは東京に出張所を開設し、販売を代理店制へと移行し、関西地区では大阪に1社販売代理店を置いた。また和歌山・高木・御着地区も大手のタンナー等は東京地区に販売代理店を出店し、販路の拡大を競ったのであった。

同30年6月には革靴の輸入関税が30%から27%に引き下げられ、同31年4月には製革技術上不可欠な合成タンニン剤の輸入関税が20%から10%に引き下げられた。また国力の充実と市況の好調化は、一方で海外からの貿易自由化の要求が高まりを誘い、ついに同35年4月からかばん・袋物・革屑・爬虫類革・ウサギ毛皮などの輸入自由化が行われた。この時、併せて製革用薬品類の輸入の全面自由化も実施された。その後も引き続き、ベルト、グローブ、革手袋や一部の革の輸入の自由化も実行された。


北米原皮のコンテナ輸入が始まり、原皮輸送技術の変革となった。 昭43.7
原皮輸入実績の推移 (単位:塩生トン)
畜種別 昭和29年 30年 31年 32年 33年 34年 35年
牛皮 35,064 47,941 58,937 57,154 56,883 68,989 81,463
中小牛皮 6,934 8,008 9,318 8,942 8,244 5,841 6,812
馬皮 2,433 4,092 8,051 5,177 6,312 6,933 6,012
水牛皮 667 1,057 1,115 1,084 581 1,629 784
山緬羊革 907 759 1,494 1,266 2,963 1,865 813
その他原皮 428 230 740 608 608 1,571 1,011
合計 46,433 62,087 79,655 74,231 75,591 86,828 96,895

原皮仕入国別輸入実績(昭和35年) (単位:塩生トン)
畜種別 牛皮 中小牛皮 馬皮 水牛皮 山緬羊皮 その他原皮
カナダ 3,670 659 - - - -
アメリカ 64,139 2,585 163 - 159 -
インド、パキスタン - - - 447 38
南ア連邦 249 - 248 - - 2
ニュージーランド 1,078 415 135 - 44 -
オーストラリア 9,154 2,040 846 - 44 3

●計量法改正とデシ単位の採用

皮革産業にとって、計量法の改正も大きな話題であった。即ち昭和33年(1958)3月、わが国政府は従来の尺貫法を廃止し、メートル法で統一した新計量法を制定した。


昔、利用されていた
木製の面積計量尺 昭42

革の計量単位は、戦前は和坪(1尺×1尺)と洋坪(1フィート×1フィート)の併用であったが、戦後はおおむね洋坪に統一されていた。洋坪の1平方フィートは人間の足の長さ(1フィート)が基本であったから、紳士靴の1足分は本底革で1坪、甲革で2坪と計算しやすかった。

また、原皮や機器の主要輸入先であるアメリカもこのヤード法を採用しているので、貿易実務の面でも便利であった。このため当初、皮革業界ではこの改正に反対する声が高く、皮革産業協会が中心になって当局への陳情なども行ったが、結局、輸出業務を除いてこれを受け入れることになり、同年10月1日から新計量単位のデジ(DS=10センチメートル×10センチメートル)が採用されることになった。 なお、皮革産業全体としては革靴を筆頭に同38、39年は不況感に見舞われた。また同39年には初めてアメリカの人工皮革製の靴が登場した。

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