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約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(3)戦後の皮革産業 昭和30年頃まで

4.戦後の新しい出発─統制撤廃(昭和25年)

 

前述した「焼跡期」昭和の20年から24年まで、社会的な混乱の中で、いわゆる配給統制の撤廃されるまでの皮革産業は、まさに暗澹(あんたん)たるものであった。

各地方に散在する鞣製工場は別として、日本皮革などの大規模工場は、まず工場設備そのものが空襲によって罹災して、その機能を失っていた。

したがって、「焼跡期」における皮革および皮革製品業界は、生産面でも配給緬でも、実質的には無秩序で混乱の時代でもあった。

そして、ついに同25年(1950)1月18日、GHQ経済化学局マーカット少将から経済安定本部長官、通産・農林大臣あての覚書が寄せられ、牛皮革、馬皮革、山緬羊革、豚皮革、その他タンニン剤、にかわ・ゼラチンを含む12品目の指定生産資材からの解除を承認する旨が伝えられ、直ちにこれら品目の「統制撤廃」が政府から発表された。見方によれば、この皮革の統制が撤廃された同25年1月こそ、わが国の皮革産業にとって、戦後の出発点ともいえよう。

殊更いうまでもないが、お金さえ払えばどこからでも仕入れができ、売りたい商品が作れ、どこにでも売れる。この、いま考えれば当たり前の商行為が、戦時中から戦後の同24年まで実に長い年月にわたって、自由に出来なかったということであった。

配給だけでは商売にならない行政の仕組みの中で「統制違反」ということで、商売をしながら統制違反の摘発におびえ、官憲に捕えられ、屈辱に耐える日々でもあった。

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