4.戦後の新しい出発─統制撤廃(昭和25年)
前述した「焼跡期」昭和の20年から24年まで、社会的な混乱の中で、いわゆる配給統制の撤廃されるまでの皮革産業は、まさに暗澹(あんたん)たるものであった。
各地方に散在する鞣製工場は別として、日本皮革などの大規模工場は、まず工場設備そのものが空襲によって罹災して、その機能を失っていた。
したがって、「焼跡期」における皮革および皮革製品業界は、生産面でも配給緬でも、実質的には無秩序で混乱の時代でもあった。
そして、ついに同25年(1950)1月18日、GHQ経済化学局マーカット少将から経済安定本部長官、通産・農林大臣あての覚書が寄せられ、牛皮革、馬皮革、山緬羊革、豚皮革、その他タンニン剤、にかわ・ゼラチンを含む12品目の指定生産資材からの解除を承認する旨が伝えられ、直ちにこれら品目の「統制撤廃」が政府から発表された。見方によれば、この皮革の統制が撤廃された同25年1月こそ、わが国の皮革産業にとって、戦後の出発点ともいえよう。
殊更いうまでもないが、お金さえ払えばどこからでも仕入れができ、売りたい商品が作れ、どこにでも売れる。この、いま考えれば当たり前の商行為が、戦時中から戦後の同24年まで実に長い年月にわたって、自由に出来なかったということであった。
配給だけでは商売にならない行政の仕組みの中で「統制違反」ということで、商売をしながら統制違反の摘発におびえ、官憲に捕えられ、屈辱に耐える日々でもあった。