• 皮革
  • ゼラチン
  • 鎖
  • マッチ
  • ボルト・ナット
  • 乾めん
  • 菓子
  • ゴルフクラブ
  • 地酒
  • いぶし瓦
  • 家具

約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(2)明治・大正・昭和前期の皮革産業

6.姫路の空襲─山陽と高木が壊滅的被災

昭和19年(1944) 末頃からアメリカ軍機がこの播磨地方にも度々飛来するようになった。日々戦局は極めて厳しいものになり、物不足と空襲におびえる生活が続いていた。同20年6月22日午前10時、B29爆撃機(7機編隊)が来襲、連続7回の波状攻撃で川西航空機、山陽皮革、日本フェルトの3工場を襲った。これらは一瞬にして火を吹き、壊滅し、黒煙をもうもうと立てて炎上し、付近の民家にも燃え広がった。

小川橋も直撃弾を受け、工場から避難してきた工員たちは退路を絶たれ、川原や水の中に逃げ込んだ。こうした空襲により多くの人命が失われた。

7月3日深夜から4日未明にかけて第2回目の空襲があり、野里方面を除く姫路全市が焼夷弾攻撃を受けた。高木地区も238戸が焼失し、一本松も1戸、小川も3戸が被災した。高木地区は村の中央、南北の道路を境として西北部一帯の地は焦土と化して何も残らなかった。罹災者1,000人といられ、5人の犠牲者が出た。大空襲で家を失った家族は親戚に同居したり、残った工場内に何組もの家族が居住する有り様であった。

前のページへ 次のページへ