• 皮革
  • ゼラチン
  • 鎖
  • マッチ
  • ボルト・ナット
  • 乾めん
  • 菓子
  • ゴルフクラブ
  • 地酒
  • いぶし瓦
  • 家具

約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(2)明治・大正・昭和前期の皮革産業

3.大正時代─クロム鞣革の本格的普及はじまる

日露戦争から10年たって日本はひどい不景気に悩んでいた。巨額の外債や国債の返済のため、国の財政は火の車であった。国際収支は赤字が続き、満州を中心とした大陸経営もうまくいってなかった。

政府は、危機打開策を対外進出に求め、重税を課し、軍備の拡張を施行した。

大正元年(1912)に日本皮革が上海に鞣製工場を作って間もなく、同3年第一次世界大戦が発生した。これを契機とする他産業と同様に、皮革産業も未曾有の活況を呈するに至った。日本皮革、山陽皮革、明治皮革などが次々と増資して生産を一挙に拡大したのもこの時期であった。職工10人以上の企業は、大戦前には20社前後と見られていたが、大正4年には38社となり、同7年には41社と激増した。

製革業の統計
年度 製造戸数
(戸)
職工数(人) 生産額(円)
総数 1戸当り 総数 1戸当り
大正1 914 3,345 3.7 5,682,371 6,217
2 891 3,680 4.1 7,321,910 8,218
3 853 3,345 3.9 9,143,508 10,696
4 950 3,780 4.0 19,688,275 20,725
5 966 4,019 4.2 60,811,616 62,952
6 983 4,031 4.1 27,095,627 27,564
7 1,049 4,137 3.9 34,713,374 33,092
8 1,032 4,010 3.9 28,449,383 27,567

革の生産額 (円)
年度 牛革 馬革 その他
大正1 5,127,831 388,901 165,639 5,682,371
2 6,789,763 328,409 211,738 7,329,910
3 7,789,435 600,727 753,346 9,143,508
4 18,744,686 559,219 384,370 19,688,275
5 59,006,929 725,167 1,079,520 60,811,616
6 25,186,756 952,759 956,112 27,095,627
7 31,169,461 1,862,728 1,681,185 34,713,374
8 24,504,905 2,142,341 1,802,137 28,449,383

大戦期の革貿易 (円)
年度 輸入 輸出 輸入超過額
金額 指数 金額 指数
大正1 3,245,902 100 499,099 100 2,746,803
2 2,444,288 75 957,768 192 1,486,520
3 1,952,176 60 868,691 174 1,083,485
4 1,907,681 59 771,789 155 1,135,892
5 2,788,567 86 1,671,854 335 1,116,713
6 4,609,968 142 3,890,680 780 719,288
7 9,324,926 287 4,459,925 894 4,865,001
 

大正7年(1918)11月ドイツの降伏により世界大戦が終結したが、その軍需景気を駆使していた経済界はその1年半後、不況に直面した。この恐慌によってもっとも手痛い打撃をうけたのは、なによりもまず対戦中に対露輸出の盛況により好景気を享受してきた靴を中心とする革製品部門であった。輸出は激減した。中小企業の規模縮小や倒産が相次いだ。

同12年(1923)9月関東大震災が発生し、業界に対する被害も甚大であった反面、第一次大戦後から慢性的不況に悩まされていたわが国の皮革産業にとっては、まさに「干天の慈雨」となったのである。大震災を契機として生活様式が変わり、服装の欧米化とともに皮革製品の需要が拡大していった。そしてクロム革を諸工業用の自給的国内生産が成立した。

前のページへ 次のページへ