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約7割のシェアを誇る「成牛革」の生産量 兵庫県における製革業の歴史はきわめて古く、弥生時代後期に大陸から帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられています。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展しました。

兵庫県皮革産業の歩み

(3)戦後の皮革産業 昭和30年頃まで

2.待望の原皮輸入がはじまる

輸入契約は引き続いて11月22日に1,912トンがとり決められ、ようやく昭和23年以降は明るい見通しのもとに需給計画がたてられた。前述した第1回契約原皮は、翌23年2月に初輸入された。

同23年にはいってからは、原皮貿易に関しては自治調整団体たる皮革中央会が主体となって毎期の需給計画に基づく輸入申請を継続し、この結果、同23年は総計3,500トン、同24年は7,000トンと輸入高は急増し、同25年には、別表のように20,000トン近くに上がり、同18年当時の実績を回復するにいたっている。

同24年の輸入高を国別でみれば、中国を除き戦前のそれと大差なく、アメリカが39%を占め、タイとオーストラリアが14%、11%でこれに次ぐ状態である。国内原皮生産も次第に安定した増加を示し、同24年の産高は牛皮5,000トン、豚皮3,600トン、その他合計9,450トンであった。輸入原皮を加えた総供給数量では昭和初期の7割近くに達した。

戦後輸入高 (単位:トン)
年次 昭和23年 24年 25年
牛皮 2,678 5,053 16,529
水牛皮 538 1,328 7,895
緬羊皮 170 364 753
その他原皮 52 299 635
合計 3,439 7,042 19,530

原皮輸入の過程において貿易機構や取引業務も整備された。業界側においては輸入促進運動の実務担当機関として、同23年8月に皮革中央会に渉外部分室が創設されたが、一方貿易庁の補助機関としての鉱工品貿易公団の軽工品部にも、同年7月から皮革輸入分室が設置され、原皮輸入業務を管掌することになった。なお、総指令部外国通商部の皮革担当官はキャムベル、続いてモンゴメリー女史及びF.T.C.Dのトロサム等で、これらの人々によって原皮輸入が進められたのであった。

同22年1月には、「指定生産資材割当規制」が公布された。これによっ皮革は牛・馬・緬羊・豚・クジラ・サメが、その後ニベおよびトコ・屑革・革ベルト・タンニン・膠(ニカワ)・ゼラチンが追加され、それぞれ指定生産資材として製革業者あるいは需要者への割当配給が実施されることになった。かくて植物タンニン剤は終戦後全くストックに依存していたが、GHQの好意とタンニン輸入協会の努力により、同22年3月20日シンガポールから19,980ポンドの初入荷を見た。これで細々ながら皮革の生産もできるようになったので、同年春には業界の統制補助団体として、皮革協会のもとに製革工業会・工革工業会・製靴工業会の三業種団体が組織された。この製革工業会は次の事業を行うこととなった。

〔事業〕 製鞣計画、資材計画および販売計画の立案並びにこれが実施につき必要な事項
*原皮、タンニンその他資材購入の斡旋並びに割当
*革の使用販売の割当
*価格の審議、協定
*技術の改善向上
*労務、経理その他経営の合理化に必要な資材の収集、調査、研究等
〔役員〕 理事長 増井諟司、渉外担当 井上守次、資材担当 小島国太郎、生産担当 相良浩造、総務担当 野崎一郎、事務局長 松木栄二
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