8.特徴ある製革方法
この製革原料は古代においては馬皮であったようだが、牛耕農業の普及に伴い、中世以降においては牛皮が中心となったようである。大阪市史によれば、文政年間の記述として「元来牛馬皮を晒すは、上方筋にては播州市川に限るを以て、摂州の引請の分は市川附近なる姫路領飾東郡高木村の下職」とあり、大量のなめしが行われ、当時の藩財政に大きく寄与したことが知られている。国産だけでなく、輸入牛原皮もかなり利用されたことも知られている。
製法について述べた記録は江戸末期までには見当たらない。明治以降の研究等で明らかとなっている主な工程をまとめると、川漬・脱毛・裏漉き・施塩・油揉み・乾燥・加湿・乾燥と揉み(数回反復)となる。この手順は、延喜式造皮功の前節
牛皮一張〔長六尺五寸、広五尺五寸、〕。除毛一人。除膚肉一人。
浸水潤釋一人。曝涼踏柔四人。
と極めて酷似することに注目したい。即ち、白鞣革の原型はほぼ千年昔には完成していたのである。
明治前半の大垣家文書には、鞣革の種類として沓皮(くつかわ)・和皮靼、朝鮮靼・変女靼・五志靼・馬靼・中物靼・小皮靼があげられているが、製法の特徴から、これは沓革・古志革、および通常革に分けられる。
姫路白鞣革の製造 昭42
大正初めの共栄者の広告からは沓革・綴革(とじかわ)・張生地(はりきじ)・太鼓革もあった。これらはいずれも製造方法が大なり小なり異なっている。張生地は江戸末期の工夫であった。
このように、姫路白鞣革はわが国が世界的に見ても誇りうる皮なめし技術の一典型であり、江戸末期に至るまで盛業であった。明治以降、生活の洋風化や低い生産性、あるいは新式製革法として植物タンニン鞣やクロム鞣の技術の普及に伴い、次第に衰微してきた。とくに昭和20年以来、高木地区ではクロム鞣革製造一色となり、白鞣業者は激減した。その用途も革文庫・武道具や和装用品、野球ボール、小物類などに限られ、姫路特産品にその存在を求めている昨今である。