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姫路の菓子作り
江戸時代から続く、姫路の菓子作りについて学びましょう。

河合寸翁が長崎の出島まで藩士を派遣して、ヨーロッパの油菓子の製造技術の習得を命じた事が播州駄菓子の起こりです。
かりんとうや油菓子などは、駄菓子の部類に入り、庶民が日常的に食べる菓子です。また、上質の白い砂糖が使われ、公家などでも珍重されていました。

かりんとうの製法

砂糖・水・イーストや、食塩、重曹などと小麦粉を練り合わせて作った生地を棒状に整え、それを植物油で揚げたのち、白砂糖や黒砂糖でつくった蜜でからめて乾燥させた駄菓子です。

かりんとうの起源

かりんとうには唐菓子を起源とする説と南蛮菓子を期限とする説があります。
唐菓子を起源とする理由には、小麦粉・米粉の生地を油で揚げる事から、唐菓子と共通する技法が用いられているということが挙げられます。また、現代の中国には「麻花兒(マーファール)」と呼ばれるかりんとうに似た菓子があります。
一方、南蛮菓子を起源とする説は『南蛮料理書』の菓子の部に「コスクラン」と呼ばれるかりんとうに似た菓子があり、現在でもポルトガルで製造されていることからです。
その他、戦国時代における兵士の保存食が起源、といった説もあります。

姫路のかりんとうの特徴

播州駄菓子姫路のかりんとうは固めにこねた生地を用いるため、固めの食感になります。元々は上流階級のお菓子として広まったものでしたが、播州駄菓子と呼ばれるようになり、駄菓子として発達しました。
ゴマ、抹茶、大豆を生地に混ぜる事もあり、現在では高級品まで様々なものがあります。
油菓子全般を現在では「かりんとう」と呼ぶようになっていますが、工程の違いや形によって「黒ねじ」「奉天」「うず巻き」「ひっかけ」「みみ」などの呼び名があります。昔は油菓子のお店が博労町に軒を連ねていましたが、戦災により焼失してしまいました。しかし、昔から続くお店が数軒残っており、代々受け継がれた製法で今も作り続けています。

播州駄菓子とも呼ばれる姫路のかりんとう 姫路のかりんとう