そして、明治2(1869)年にフランス留学を果たし、ヴェルニ塾に学び、明治6(1873)年にはパリ工芸大学(パリ・エコール・サントラル)で理工科系科目を習得し、ここで身につけたことがのちのちマッチの開発に役立つことになります。ただ、この時点では当人にとってはマッチ事業を始めるとは思いもよらないことだったでしょう。
このフランス留学のため清水 誠が横浜港を出航した日の5月12日を「マッチの日」としています。また、1975(昭和50年)5月12日に東京都江東区亀戸天神社境内に「清水誠顕彰碑」が再建されました。 |