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姫路のマッチ作り 西播磨地域の地場産業 マッチづくりについて学びましょう。
 
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マッチの歴史-国産マッチの歩み-

清水誠と国産マッチの生産

清水誠

 日本でマッチが生産され普及するのは、明治維新以降のことです。日本のマッチを語るとき「清水誠」(1845〜1899)の名を抜きにしては語れません。

 金沢藩士「清水誠」が、明治3年欧州に留学し、当時外遊中の宮内次官吉井友実に勧められて、マッチの製造法を研究し、帰国後の1876年(明治9年)東京市本所柳原に「新燧社」を設立、本格的にマッチの製造(黄燐マッチ)の生産を開始。マッチの製法を広く公開したこと、当時の失業士族救済のための授産産業として奨励され、各地にマッチ工場が設立されました。

 しかし、「士族授産事業としてのマッチ産業」は、明治10年代〜20年代にかけて起こった経済恐慌に「武家の商法」は持ちこたえる事ができず、つぎつぎと破綻し、民間に任せる事になりました。

 

第一次世界大戦後の不況時代

明治8年にマッチの生産が開始されてから順調に生産量が増える一方、清水誠は輸入マッチの販売店(洋品業者)に呼びかけて「開興商社」なる組合を作り、国産マッチの普及に努め、遂に13年夏にはマッチの輸入が皆無となりました。

マッチの輸出も次第に増加し、国の重要輸出製品の一つとなりましたが、明治16・17年には粗悪品を輸出する製造者がでて、日本品の名声を落とし、輸出量が極端に減り閉鎖するマッチ工場が続出しました。 これを除くため、明治20年(1887年)兵庫県燐寸製造組合が設立されました。

生産統制時代から現在へ

 大正14年に重要輸出工業組合法が公布され、マッチは同法の指定業種となりました。15年には同法に基づき、日本燐寸同業組合聯合会が「日本燐寸工業組合」に改組しました。

 昭和8年には工業組合法第8条による命令が発せられ、本格的な生産の統制が実施されました。11年には日本燐寸共販株式会社が設立されて販売上の統制を実施するに至りました。

 昭和16年第2次世界大戦に突入し、戦況の推移にともない、原木、紙、膠、塩素酸カリ等の原材料の不足が目立ち、「企業整備令」による吸収合併、廃業などが進み、その上空襲等による工場焼失もあって生産力は著しく減少。20年の終戦を迎えました。

 昭和21年「統制会社令」は廃止となり、日本燐寸統制株式会社は日本燐寸産業株式会社に改組し、引続きマッチの一手買取販売を実施した。この間マッチの生産は増加の一途をたどり、 昭和48年マッチの総出荷量が戦後最大の80万マッチトンに達しました。

マッチの生産量と輸出量
  総生産量
(マッチトン)
内・輸出量
(マッチトン)
昭和    
41 603,585 13,857
42 689,943 16,030
43 647,297 17,575
44 724,163 21,142
45 757,629 22,625
46 716,395 23,644
47 732,061 23,862
48 792,935 18,342
49 688,400 14,344
50 625,812 10,766
51 568,421 14,246
52 465,240 15,041
53 425,514 12,233
54 372,400 13,494
55 317,094 13,300
56 270,095 14,161
57 256,525 17,272
58 209,308 16,297
59 197,072 18,901
60 173,002 17,969
61 154,253 17,525
62 136,485 15,608
63 129,712 16,258
64 111,193 16,525
平成    
2 103,449 15,868
3 93,298 15,214
4 84,833 13,220
5 74,365 11,762
6 67,330 11,391
7 60,979 9,969
8 58,886 9,963
9 55,185 10,939
10 51,650 10,455
11 47,774 10,813
12 43,930 10,129
13 40,810 9,638
14 39,079 9,328
15 33,285 8,059
16 30,348 7,604
並型マッチ10個包みの小売価格
明治9年(1876) 3銭
明治25年(1892) 2銭5厘
明治29年(1896) 2銭
明治40年(1907) 3銭
明治43年(1910) 5銭
大正3年(1914) 3銭
昭和3年(1928) 7〜8銭
昭和13年(1938) (公定価格)12銭
昭和17年(1942) 20銭
昭和18年(1943) 30銭
昭和19年(1944) 40〜50銭
昭和20年(1945) 1円50銭
昭和21年(1946) 3円
昭和22年(1947) 4円10銭〜12円30銭
昭和23年(1948) 15〜21円
昭和24年(1949) 24円
(7月公定価格廃止)
昭和25年(1950) 20円
昭和26年(1951) 15円
昭和28年(1953) 20円
昭和32年(1957) 25円
昭和33年(1958) 30円
昭和37年(1962) 35円
昭和40年(1965) 40円
昭和42年(1967) 45円
昭和46年(1971) 55円
昭和48年(1973) 60円
昭和49年(1974) 110円
昭和50年(1975) 100円
昭和55年(1980) 120円
平成17年(2005) 167円
(6個100円を換算)
出典:社団法人 日本燐寸工業会より
出所
昭和41年〜平成9年 日本燐寸工業会
平成10年〜16年 社団法人日本燐寸工業会