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姫路の鎖づくり-姫路に鎖づくりについて一緒に学びましょう- 国産鎖の60%以上が姫路市で造られています。このサイトでは姫路の『鎖』づくりについて紹介します。

鎖の起源と歴史~『鎖』の歴史~

鎖の歴史はとても古くて、紀元前から造られていました。ここでは鎖作りの歴史を紹介します。

紀元前のチェーン、ピレウスの港

チェーンの歴史は古く、紀元前より、地中海を囲む多くの港で使用されていました。城壁の延長として築かれた、防護壁を持つ港は、その入口に鎖を張って、外敵の進入を拒みます。港の形が下図のようになっているので、鎖を張ることによって守れます。ギリシャ、ローマ時代にアテネの外港として築かれたピレウスの港がその初めとされています。

BC.499 ペルシャ戦争勃発。ペルシャとギリシャが激しく戦う。
BC.493 ギリシャの将軍に就任したテミストクレスが、従来の開放的な港ファンレスの代わりに、堅固な要塞を持つピレウス港を建設。
BC.480 ギリシャはペルシャ軍の攻撃を受けるが、200隻の海軍艦隊が撃退する。

ヴァイキングのアンカーチェーン

8世紀から12世紀にかけてスカンジナビア半島に原住し、ヨーロッパ各地で活躍したヴァイキングは、 航海術にも長けていたが、青銅器・鉄器の長い伝統を持ち、発展させていきました。これはスカンジナビア半島に眠る豊かな鉱脈が容易に採掘出来たことによります。彼らは鉄を鍛え、焼入れする技術も持っていたようです。

彼らが初めて鎖を船舶の係留用に用いました。デンマークのフィン島で発見された錨には30フイート以上の鎖が付いていました。しかし、それ以降、 数世紀の間、アンカーチェーンの使用例は見当たりません。

18世紀の始め、世界は大航海時代に入り、世界貿易の増加と共に、大きな商船が発達し始めました。 船舶の大型化と共に、船体の強度を増す為に木造船の外側に鉄板を張り始めると、従来の麻のロープがすぐに切れてしまう。そんな時、アンカーチェーンの使用が始まりました。

『デ・レ・メタリカ』に描かれたチェーン

1550年、ゲオルグ・アグリコラによって書かれた『デ・レ・メタリカ』は、当時の世界の鉱業・冶金技術の集大成であると共に、近代技術の 夜明けを告げる画期的な技術書です。300葉にのぼる版画は精緻で当時の鉱山・工業のありさまをハッキリと描いています。彼は序文に、こう書いています。『私は私が見なかったもの、もしくは信ずべき人々から実際に聞かなかったもの、全てを叙述から除きました。』

ラテン語で書かれた、この本の中に、たくさんのチェーンの使用例が あります。物を吊る道具・水を汲む道具の一部・物を運ぶ道具として、版画で表現されています。先人の知恵は今もそのまま生きています。