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姫路の鎖づくり-姫路に鎖づくりについて一緒に学びましょう- 国産鎖の60%以上が姫路市で造られています。このサイトでは姫路の『鎖』づくりについて紹介します。

開陽丸の鎖~『鎖』の歴史~

鎖の歴史はとても古くて、紀元前から造られていました。ここでは鎖作りの歴史を紹介します。

開陽丸の鎖

開陽丸は、今から約130年前に、オランダで進水しました。15名の留学生を送り込み、この船の建造依頼をした徳川幕府は、海軍の増強になみなみならぬ意欲を示していたのです。 日本に到着したのは、発注後4年程たった慶応3年(1876年)でした。

その翌年、蝦夷共和国の建国を目指す幕府海軍副総裁・榎本武揚らを乗せて、蝦夷地に向けて江戸湾を脱出しました。明治元年となったこの年、新政府軍と旧幕府軍が衝突、戊辰戦争が勃発しました。榎本武揚が率いる旧幕府軍は、函館五稜郭を占領後、松前藩最後の防衛線である江差の攻撃をもくろみ、開陽丸で江差沖へと進みましたが、明治元年11月15日、暴風雨のために座礁・沈没してしまいました。進水後、わずか3年のことでした。 開陽丸を失った榎本軍は、明治2年、函館で新政府軍に抗戦するも、むなしく降伏。明治を誕生させた戊辰戦争がここに終結しました。
(財団法人開陽丸青少年センターパンフレットより)

引き上げられた鎖

開陽丸のアンカーチェーンは錨綱(いかりづな)から鉄製の鎖に変わる、変革期の中間に位置するもので、現在のものと少し異なっています。環材の直径は44.5mm、連結部を含む約24mと7mのチェーンは、1,300Kgほどの重量です。

このアンカーチェーンは、1865年、オランダのライデン市にある、ロイヤル・オランダ大鍛冶組合で製造されたものです。スタッドにある刻印、および開陽丸が1865年に、オランダのドルトレヒトのヒップス・エン・ゾーネン造船所で進水した事などから判明しました。その製造方法は手作り螺旋状鍛造です。