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姫路の鎖づくり-姫路に鎖づくりについて一緒に学びましょう- 国産鎖の60%以上が姫路市で造られています。このサイトでは姫路の『鎖』づくりについて紹介します。

姫路の鎖づくりの歴史~『鎖』の歴史~

鎖の歴史はとても古くて、紀元前から造られていました。ここでは鎖作りの歴史を紹介します。

古くから鍛冶がさかんでした

姫路の地では、大昔、韓国より渡来した先進技術集団によって、製鉄業・鍛造業・鋳造業がさかんに行われ、根づいていました。名古山遺跡(紀元前1~2世紀)より 銅鐸の鋳型や鉄片が出土しています。それらの先進技術は釘鍛冶や野鍛冶(農具の修理を主とする鍛冶屋)として営まれ、この地に鍛冶屋 の火を燃やし続けてきました。

鎖づくりの始まり

鎖製造業は姫路市白浜町(南部海岸地帯)を中心に40社が生産を行っており、全国生産高の約70%の生産を誇っています。

当地には、徳川中期より、松原釘と呼ばれる釘の火造鍛造技術が発達しており、それが明治の中ごろの船釘の製造に替わりました。
明治末期、姫路(白浜町)出身の瀬川長蔵氏が大阪で製鎖業を営みました。その受注量が増大し、本社工場の生産ではとうてい間に合わなくなり、大正初期に木場工場(姫路市木場)を建設しました。

その後、第二次世界大戦中に細物の電気溶接機が開発され、昭和32年には外国製の大型溶接機(フラッシュバット)を導入、順次国内産による溶接機に移り、現在では火造り鎖はほとんどみられない。
当産地の鎖は、線径が数十ミリのものから飾りチェーン等の細かいものまであり、また材質もアルミなどの製品があり、多様化しています。