鎖製造業は姫路市白浜町(南部海岸地帯)を中心に40社が生産を行っており、全国生産高の約70%の生産を誇っています。
当地には、徳川中期より、松原釘と呼ばれる釘の火造鍛造技術が発達しており、それが明治の中ごろの船釘の製造に替わりました。
明治末期、姫路(白浜町)出身の瀬川長蔵氏が大阪で製鎖業を営みました。その受注量が増大し、本社工場の生産ではとうてい間に合わなくなり、大正初期に木場工場(姫路市木場)を建設しました。
その後、第二次世界大戦中に細物の電気溶接機が開発され、昭和32年には外国製の大型溶接機(フラッシュバット)を導入、順次国内産による溶接機に移り、現在では火造り鎖はほとんどみられない。
当産地の鎖は、線径が数十ミリのものから飾りチェーン等の細かいものまであり、また材質もアルミなどの製品があり、多様化しています。
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