「女性ならではの感性で良質の酒造りを」

杜氏(灘菊酒造株式会社) 川石 光佐

見て覚えた、3年間の修業時代

良い酒を造る決め手は人のほかに米と水だと言われる。
それだけに日本一の酒米「山田錦」を初め「兵庫夢錦」などの酒造好適米を産し、市川や揖保川の水に恵まれた播州地方は古くから酒どころとして知られ、多くの蔵元が上質の地酒を送り出している。

姫路市手柄にある明治43年創業の灘菊酒造もその1つで、蔵元の三女として生まれ、杜氏を務めている川石光佐さんは全国でもまだまだ数少ない女性杜氏の1人である。

東京農業大学醸造学科に進んだ川石さんだが、その頃はまだ「将来は杜氏に」という明確な意志はなく、「やろう」と思ったのは、卒業後姫路に帰り、南部杜氏の鎌田勝平さんと一緒に酒造りをするようになってから。

「酒造業界も右肩下がりで外部から杜氏を招くほどの生産量はない。杜氏の方の高齢化も進んでいるし、じゃあ私が杜氏になって社員の手でお酒を造っていこうかと」。

で、鎌田さんについて学んだが、「杜氏さんというのは、自分でやって教えるということはないんです。作業的なことは教えても、酒造りのカンどころなどは口に出して教えることはない。

だから見て盗む。

こうしたらこうなるんだな、ということを見て覚えるんです」と、当時を振り返る。

多くの方に支えられて今日が

こうして3年間鎌田さんに学び、川石さんは平成16年から杜氏の仕事を引き継いだ。

その年の酒造りは不安だらけで、「今から思うとよくやったなあと。失敗したらどうしようかとも思わなかったし、第一、どういう風にしたら失敗するのか、それすら分かっていなかった。ほんと、怖いもの知らずだったんです」と笑う。

心強かったのは、同じ酒造りに携わる東京農大のOBたちが近くにいたこと。

「分からないことがあると教えてもらったり、直接来ていただいて気持ちよく指導してもらいました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです」

その年、杜氏として初めて造り上げた酒を師匠の鎌田さんに送ったところ、「ええ酒造りは、きれいな蒸し米と、きれいな水。あとは落ち着いて、焦らずにやればよい」と礼状にしたためてあった。

その時のアドバイスがここに来て役に立ったとも話す。

酒造りは「1に麹(こうじ)、2に酵母、3に造り」。

酒の善し悪しはそれで決まると言われるが、良い麹を育てるためには良い蒸し米が必要で、良い蒸し米に仕上げるには米を磨いたり、枯らしたり、水洗いしたりという原料処理が大切になる。

平成21年の秋から始めた今年の酒造りではそのことを思い出し、「原点に戻ろう」と丹精を込めて仕込んだという。

これからも前を向いて行くだけ

酒は醸造の過程で刻々と変化している。

生きている。

だから・見る、聴く、触れる、嗅ぐ、味わう・の五感が大切で、いったん酒造りが始まると、それらを集中させることが要求される。

「蔵に入った時から、この音は何の音やろかとか、すぐに気になります。見た感じとか音とか、五感を研ぎ澄ませて、自分が置いていかれないようにしなければならない。酒たちが『気づいて』と言っているのに、それに気づかないとどんどん酒たちが私を置いて行ってしまう。そんな怖さがあります」

何となく分かる気はするが、1年中酒と寄り添っている川石さんならではの、酒造りの本質をついた言葉かも知れない。

川石さんは造る酒の理想について「米の味がしっかり出ているお酒かなあ」と話すが、一方で「でも、こうでないとダメ、というのはないと思うんです。美味しい、うまいは、飲んでいただいたお客様がお決めになることですし、私としてはその時その時に自分にできる一番良い方法を選択し、少しでも良いお酒を造る努力をしていくだけ。まだまだ未熟ですし、前を向いて行くだけです」ときっぱり。

結果にとらわれず、常に前向きに挑戦し続ける。

こうした良い意味での精神面での図太さと、酒造りの現場における繊細な感性が、あるいは酒造りの責任者、総指揮官である杜氏には求められるのかも知れない。

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