「職人から工芸美術家へ、まだまだ厳しい道のり」

漆工芸家・蒔絵師 (漆工房江藤) 江藤 國雄

石川県で修業した青春の日々

漆工芸家として寺院や神社などの漆塗りを行う一方、蒔絵師としても精力的に活躍している江藤國雄さん。

姫路市が文化や思想などに関する優れた著作物を対象に表彰する「和辻哲郎文化賞」の正賞「蒔絵源氏絵千姫羽子板」を制作していることでも知られている。

江藤さんがこの世界に入ったのは20才を過ぎた頃。
能登半島を旅するのが好きで日本の伝統工芸に惹かれていたこともあり、石川県の蒔絵師・石橋穣氏のもとに入門。

給料も休みもなく、仕事場横の一室で寝泊まりしながらひたすら修業に励んだという。

修業といっても口で教えられるわけでも手を取って指導されるわけでもなく、ただ「見て覚える」。

じっと待っているだけでは何もさせてもらえないので、江藤さんは自ら仕事を覚えようと何事にも積極的に手を出していった。

すると師は「アホか、勝手なことしやがって」と叱りながらも、「ここはこうするんや」と教えてくれた。

「がんがん自分からやっていかないと、この世界では生き残れないんですよ」と江藤さんは話す。

そのあたりが気に入られたのか、江藤さんは入門3カ月で筆を持たせてもらい、掃除などの雑用や与えられた仕事をこなしながら、毎日毎日夜遅くまで手板(練習用の板)で線描きの練習を重ねた。

師は高名な蒔絵師だったが、誇り高い職人気質が災いしてか常に貧乏暮らし。

海が近いこともあって、修業の合間にハマグリをとったり、赤エイを釣ったり、春にはワラビやゼンマイを採集したり、「食糧の確保にも忙しかった」と笑う。

デザイン力が求められる蒔絵

ところが、その師がまもなく病死。

結局2年ほどで再び姫路に戻り、仏壇店で働いた。

それでも、一介の職人で終わるつもりはなかった江藤さんは、仕事が終わった後や休日に漆工芸や蒔絵の技術を独自で勉強し、平成5年に独立。

蒔絵を初め寺院や神社の漆塗りや彩色、文化財の修復、漆工修理などを手がけてきた。

蒔絵とは、箱や盆などに漆を何度も塗って下地をつくり、その上に下絵を転写し、蒔絵筆を使って漆で絵柄や文様を描き、「粉筒」と呼ばれる筒で金や銀の粉を蒔き、漆を塗っては専用の木炭で研ぐことを繰り返し、絵柄を浮かび上がらせていく漆工芸の一つ。

漆を塗る技術の高さもさることながら、箱や盆の形から絵柄までトータルなデザイン力が要求される。

「言ってみれば、箱や盆がキャンバスなんですよ」と江藤さんは説明する。

だから江藤さんは常日頃からデッサン帳を身近に置いて、絵柄や図案を思いついたら「ごそごそと描いている」そうで、好きなのは沈丁花のような小さな絵柄。

「お前は病的に細かい絵柄が好きやなと、よう言われるんですわ」と笑う。

「継続は力なり」を心の支えに

兵庫県工美展や日本伝統工芸展などに出品し、数々の賞を受賞するようになったのは10年ぐらい前から。

息子の雄造さんが家業を継ぐべく仕事を手伝ってくれるようになってからで、それまでは仕事を終えた夜間にしか自分の作品に向かえなかったが、雄造さんのおかげで時間が持てるようになり、しだいに工芸美術の仕事の方にウェートを置くようになったという。

平成18年には漆芸の分野では兵庫県でただ一人という日本工芸会正会員にもなり、各地で個展なども開催。

現在も重要無形文化財「らでん」伝承者養成研修受講生として人間国宝の北村昭斉氏に師事するなど、職人と言うより作家という感が強いが、「いや、腕という点では展覧会に出している作家よりも職人さんの方がずっとすごい。ただ職人さんが頼まれたことをするだけなのに対し、作家は創造する。無から有を生み出すし、そこには芸術性がある。その点、僕は職人にもなれへんし、作家にもなれへん。中途半端なんですわ」
と、江藤さんは声を落とす。

職人と作家。

外部の人間にはうかがい知れないことだが、あるいは江藤さんはその狭間で何かしらの揺れを感じているのだろうか……。

最後に「仕事をする上で大切にしていることは?」と訊ねると、即座に「継続は力なり、ということやね」と答が返り、「門前の小僧やないけど、ちょっとずつでもやっていけば、それなりのものにはなる。『もうアカン』と思うこともしょっちゅうやけどね」とテレを滲ませながら続けてくれた。

継続は力。

それこそが江藤さんだけでなく、多くの優れた匠たちを支えているバックボーンなのかも知れない。

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